こんにちは。私は高知県高知市にある小さな食品製造卸会社、あぜち食品の和田しほこと申します。弊社は昭和51年に父が脱サラし、市場に乾物を仕入れ、小さい商店などに卸したのが始まりです。
狭いアパートに軽トラ。そこからあぜち食品はスタートしました。乾物から始まり、さきいか、豆菓子と少しずつ商品を増やしていき、得意先も少しずつ増え、一軒家に拠点を移しました。そうしていくうちに、当時は絶対に無理だと思われた、スーパーにも陳列してもらえるようになり、気づくと高知県内の酒店、スーパーに弊社商品が陳列されるほどに。
一軒家でも手狭になった昭和60年、現在の地に拠点を移し「有限会社あぜち食品」として法人化。
会社を立ち上げて、色々苦労しながら昼も夜もなく必死に働き、まさにこれからという昭和63年11月13日、母が家で妹の七五三の準備をしていたとき、会社は屋根裏からの漏電ですべてが焼け落ちてしまいました。
本当だったら絶望してもおかしくない状況でしたが、誰もが前向きに、復旧にかかりました。皆の顔は、絶望的な表情ではなく、「こんなことで負けてたまるか!やってやる!!」そんな顔をしていました。当時小学6年生だった私ですが、あの時の父、母、従業員達の顔を今でもはっきりと覚えています。
すぐに仮倉庫を作ってもらい、2週間後には得意先に納品できるまでに。このときの火災があったから、母は腹をくくり肝が据わった人間になったのかもしれません
(誰からも「おかあちゃん」と慕われ、肝っ玉母ちゃん"まんま"です)。
そして、火災から3年後、今の社屋が完成し、その5年後に私が入社しました。入社して1年、平成10年9月24日、次は高知を襲った一晩で1000ミリを超すゲリラ豪雨で、会社は床上110センチ浸水、PC、車6台、1階に置いてあった商品、すべてが廃棄処分に……。
しかし、一度火災を経験しているからか、「なにくそー!こんなことで負けるもんか!!」と、1ヶ月で完全復興。
火事、水害とさまざまな困難はあれど、皆で協力し、得意先さまにも信頼してもらえるよう、コツコツ地道に卸していました。
そんなとき、あぜちに運命的な出会いが訪れます。平成15年10月中旬。
母が資材メーカー関株式会社の担当Nさんと世間話をしていたときのこと。
関さん「高知市泰(はだ)にある久保田商会さんが廃業するがやと。映画館も次々閉館していくし、会長も年がいって、しんどくなったらしいよ。シュガーコーンや花きびも無くなるがやねぇ」
母「もったいないねぇ…寂しいねぇ…。高知の味がなくなるなんて」
関さんが帰った後も、珍味の封をしながら、悶々としていた母。「やっぱりもったいない!!なくすくらいならうちがやる!!!」
母はすぐに父に電話して相談。父もよっしゃ!と久保田会長に連絡を取りました。話を聞いた2時間後には久保田商会に出向き、その日の夜に久保田会長よりお願いしますとのお返事をいただくことができました。
それから2週間。駐車場だった場所をポップコーンの工場にし、平成15年11月3日、マックのポップコーンはあぜち食品で新たなスタートを切ったのです。
ポップコーンの製造を始めて10年以上が過ぎました。想像した以上に大変だったポップコーン業務。
夏は灼熱地獄、砂糖が絡まった不発弾は、狙ったかのように頬やまぶたに飛んできて水ぶくれ。
暑くて、熱くて、痛い。持っているしゃもじを壁に投げつけたいくらい痛くて、痛くて。
でも、グッとこらえて、手作りにこだわり、昔から愛されている味を変えないよう、消えそうになったこの味を絶対に消さないよう皆で頑張っています。
マックのシュガーコーンは、高度成長期に青春時代をすごした皆様に「青春の味ながよ!」なんて、言われるんです。
この世代の方々の青春時代の一番の娯楽は映画館へ映画を見に行くことでした。まだDVDもビデオも無い時代です。
映画館で甘いシュガーコーンを当時の彼氏、彼女と映画を見ながら分け合って食べていた、なんて思い出話をお聞かせいただきます。飽きっぽい人が多い高知で、半世紀も愛されているお菓子って本当に少ないんです。
そして「この味を日本全国の人に知ってもらいたい!」との思いで、2006年、インターネットでの販売を始めました。
最初は弊社の主力商品である“マックのシュガーコーン”の販売のみでしたが、いつしかホームページを通じて「ポップコーンのOEMをお願いしたい」という要望を受けるようになり、次第にオリジナルのポップコーンを作ることが増えていきました。
現在は、イベント会社からのノベルティや、サービスエリア等からのご当地ポップコーンのPB商品製造まで、様々なポップコーンをお客様の要望にあわせて作っています。少ない従業員で年間約30トンのポップコーンを製造販売し、てんやわんやの日々を送っております。
ご要望通りのオリジナルポップコーンができた時は、お客様と一緒に喜びが分かち合っています。そんな時ににこの仕事にやりがいを感じています。
私と母と妹の3人を中心にポップコーン事業を運営しており、女性目線、主婦目線で商品を作ることには自信があります。小さい会社ですが、その分、フットワークよく、出来るだけ細かい要望に応えられるよう頑張っています。ぜひ、オリジナルポップコーンを作る際は、弊社にご依頼ください!
プロフィール・略歴
1976年 高知県生まれ。
短大卒業後、両親の創業した有限会社あぜち食品に入社。製造から営業まで幅広く経験。
ポップコーン事業の再構築を目指して2006年に楽天市場へ出店。
ネット事業を一人で立ち上げ、暗中模索の毎日だったが、猪突猛進の行動力で軌道に乗せる。
SNSで話題となった“食べられる緩衝材”など、遊び心ある商品づくりでメディアにも注目される。男っぽい性格ながら、仕事では「女性目線」を大切にしている。
好きなこと
プロ野球観戦、朝ドラ(特に高知が舞台の『あんぱん』『らんまん』)。
好きな野球選手
里崎智也・鈴木大地・新庄剛志
ご挨拶
弊社のホームページを訪れていただきありがとうございます。
私たちは「マックのポップコーン」「花きび」に代表されるポップコーン製品を地元高知のスーパー様、ネットショップを通じて全国の皆さんにお届けしています。
ポップコーンづくりは一見シンプルですが、素材の扱い方ひとつで味も香りも変わります。だからこそ手を抜かず、製造から出荷梱包に至る全工程で日々の小さな改良を積み重ねています。
お客様に「また食べたい」「このお店に次も頼みたい」と思っていただける瞬間が、何よりの喜びです。これからも地域に根ざし、誠実にものづくりと向き合ってまいります。



